Trauma and Acute Critical Care Center
Trauma and Acute Critical Care Center
東京医科歯科大学 救命救急センター
医局員インタビュー
災害医療は自分の使命
多くの方々への感謝を胸に
全身全霊で取り組む
植木 穣
助教
平成17年3月に山形大学医学部卒業し、日本大学医学部附属病院で初期研修。東京医科歯科大学医学部附属病院救急科に入局。大学病院を基点としながら、東京医療センターで2年間外科を学び、藤沢市民病院救命救急センター、東京女子医科大学東医療センター救急医療科でさらなる研鑽を積む。臨床を行いながら、災害医療に関する多数の活動を行う。現在は、大学に戻り、平成30年11月に発足した災害テロ対策室初代室長に就任。
災害医療との出会い
私が、外科修練を終えて、大学に戻ってきて間もなく、医局内で『災害』担当を決めようという話が持ち上がりました。今思えば、随分と大胆なことをしたものだと、驚くばかりですが、恐れ多くも、当時、完全な下っ端だった私はそこで立候補したのでした。なぜ手を挙げたのか、未だに正直わかりません。ただ、漠然と「コレだ!」と思ったことだけは記憶しています。
担当になった私に対し、大友教授は、様々な学びの機会を与えてくださり、多くの国や都のレベルの会議にも連れて行ってくださいました。会議室の片隅にポツンと丸椅子を置いていただき、会議を傍聴させていただきました。初めの頃、『災害』の『さ」の字も知らなかった私は、会議の内容など全く理解できず、参加者の方々の「この人誰だろう?」という視線を感じながら、ただひたすら、メモを取り続け、帰宅後に調べる、この繰り返しでした。傍聴を続けるうちに、段々と話の内容がわかるようになってきました。そして気づきました。私が聞かせていただいて話は、この国のトップレベルの話であったことを。本当に感謝しています。
災害対策マニュアルとの格闘
そんな私に最初の大きな仕事が舞い込んできました。病院の【災害対策マニュアル】を作って欲しいというものでした。当時の当院には、恐らく、歴代の担当事務の方が、何かを参考にしながら、一生懸命作られたと思われる【災害対策マニュアル】が存在していました。きちんと体裁は整っており、ボリュームもかなりあるものでしたが、如何せん、実践に向かないものでした。マニュアル内では、災害時に職員に対して参集するように呼び掛けていましたが、職員に対する、米の一粒、水の一滴も準備されておらず、飲まず食わずで働き続けることを求めるような内容でした。
マニュアルの骨格から変更することが必要であると考えましたが、当時の私は診療グループ長などもしており、かなり臨床が忙しい状況でした。作成にまとまった時間が取れず、いただいた夏休みを全て潰して作り上げたことを記憶しています。
その後、当然ながら、様々な不備や不足が見つかり、多くの修正を要しました。現在も一昨年に作成したBCPとの互換性を高める作業を行っています。 このマニュアル作成を通して、組織としてどう災害に立ち向かっていくのか、俯瞰的な大きな視点で災害を考える力がついたと感じており、良い経験をさせていただいたと思っています。
災害テロ対策室と3つの感謝
2018年11月1日、当院に病院長直下の組織として、《災害テロ対策室》が設置されました。病院組織としては、恐らく日本で唯一「テロ」という言葉が入っている組織だと思います。設置に向けた話し合いの中でも、「テロ」という言葉は、病院組織としては刺激が強すぎるのではないかと懸念の声をいただきましたが、私のこだわりを汲んでいただき、この名称にしていただきました。
当院は首都東京の中心部に位置しておりますので、周囲には、立法、行政、司法に関わる様々な機関、巨大なターミナル駅、乗客で賑わう交通機関、高層建築物、有名な観光地、広範な地下街など、一度何かが起これば、即、多数傷病者事案になり得る危険性をはらんだ場所がたくいさん存在しています。これらの場所は、その特性からテロリズムのターゲット、所謂「ソフトターゲット」になる可能性が高いとも言えます。加えて、2020年には東京オリンピックパラリンピックが迫っています。実はその前にも、ラグビーW杯やG20があります。これだけ条件が揃ってしまっていますので、人命を預かる病院としてもその対策が必要ですよというメッセージをこの「テロ」という言葉に込めさせていただきました。もちろん、近い将来予想されている首都直下型地震対策も継続して発展させていきます。
それらを踏まえて、災害テロ対策室の設立趣旨は、「病院組織、大学組織として、オールハザードに対応できる体制を地域や関係諸団体と協力、連携しながら構築する」としております。
この重要な組織のトップに就かせていただいたわけですが、その職責を全うしていくために、今後も変わらず心に留めておこうと決めている3つの【感謝】の心があります。
1つ目の【感謝】
今回、災害テロ対策室設置という一つの形を達成できたわけですが、その過程で病院・大学幹部の方を始め、多くの方の御理解・御協力をいただきました。また、これまで、何の組織もなく、根拠もなく、私に付き合わされ、協力してくれた多くの方々がいます。
今日の当院の災害対策があるのはこれらの方々のおかげです。その御尽力の上に私が室長などという大層な役職をいただいたということを決して忘れることなく、これまで関わってくださった全ての方に【感謝】の気持ちを捧げます。
2つ目の【感謝】
私はこのような立場にありますので、有事の際は病院に駆けつけなければなりません。例えば、東京を巨大地震が襲った場合、私は家族を自宅に残してでも病院に行くことを選択しなければなりませんし、たまたま勤務中であったなら、しばらく帰宅できないでしょう。家族にしてみれば、そのような非常事態のときこそ、自宅にいて欲しい、そばにいて欲しいと思うはずです。しかし、私の家族はこの厳しい現実をしっかり受け入れてくれています。私が不在になることを前提に、備蓄を多めに備え、子供を守る手段を準備しています。この家族の理解と努力なしでは、今の職責を全うすることは叶いません。家族には【感謝】してもし過ぎることはないと考えています。
3つ目の【感謝】
現在、当院の災害対策は、目覚ましい発展を遂げています。その分、守備範囲は広くなり、多くの方に協力によってその活動が支えられています。そしてこの傾向は今後もさらに拡大していくものと思われます。病院の枠を越え、歯学部附属病院との連携、大学本部との連携、周辺医療機関、地域、関連組織、関連企業・・・。対策が発展し、連携先が増えれば増えるほど、多くの方の理解と協力が必要になります。場合によっては、とても苦労をかけてしまうかもしれません。このまだ見ぬ仲間の尽力に対して【感謝】いたします。
今回、この文章を寄せるにあたり、自分が、タイミングを含めた多くの運に恵まれ、数えきれないほどの方々の御理解と御協力に支えられてきたことを改めて感じました。これに報いるためにも、平時の診療に全力を尽くすことはもちろんですが、医療人として何ができるのか、災害医療を担う端くれの人間として何ができるのか、自問自答しながら、努力を続けていこうと決意を新たにしました。 この文章を読んで、共に災害に立ち向かってくれる人が一人でも増えてくれれば、これに勝る喜びはありません。ありがとうございました。
救急科専門医
【派遣実績】
・平成22年11月12日~14日
APEC JAPAN 2010・・・テロ対策を含めた医療支援(神奈川県)
・平成23年3月11日~13日
東日本大震災・・・緊急医療支援(宮城県)
・平成23年5月25日~31日
福島原発事故・・・放射線対策を含めた医療支援(福島県)
・平成27年9月11日~9月12日
関東・東北豪雨災害・・・緊急医療支援(茨城県)
・平成28年4月17日~21日
熊本地震・・・緊急医療支援(熊本県)
・平成28年5月24日~28日
伊勢志摩サミット・・・テロ対策を含めた医療支援(三重県)